知能が高い児童・生徒は放って置かれる

2.学校

教育現場の現状をご存じでしょうか。
30年前まではクラスの全員に一律の教育でした。
それがだんだん個性という名の下に個人への教育になってきました。
特にこの10年で「個を尊重した教育を行ないましょう。」となりました。

しかし、教育委員会のこの動きには問題があります。
なぜかというと、正規分布している能力の下層部分にだけ焦点を当てたからです。
上層部分の生徒は手がかからず、教員が何もしなくても良かったため、相変わらず放って置かれました。

教育関連で使用される言葉を見れば一目瞭然です。
つまり、昔から「落ちこぼれ」という言葉はありました。
しかし、「浮きこぼれ」という言葉はありませんでした。ごく最近使われるようになった言葉です。

なぜ、学校が落ちこぼれだけに注目したのか?
答えは簡単です。
並の教員には浮きこぼれの生徒に対応する術がなかったからです。
庶民がお金持ちの生活を理解できないが、貧乏人の生活は想像できることと同じです。
つまり、理解できない生徒への対応を教員が避けたのです。

東京都では「困った生徒」は、実は「困っている生徒」なので手を差しのべてあげましょう。と教員へ指導しています。これは、現在、地方の県にも波及しています。
困っている生徒は発達障害のような生徒と認識されます。誰も知能が高すぎて周りの生徒と関係を持つことができない生徒を想像しないと思います。

しかし、教育機関も発達障害の生徒に手を差しのべても成果があまりないことに気づいてきました。
もちろん、手を差しのべた分、手を抜かれた生徒もいます。一番の被害者は「普通の生徒」です。

でも、教育の成果を求められる公立の学校はあと10年もすれば浮きこぼれの生徒をフォローするのが一般的になると思います。しかし、落ちこぼれや困った生徒への対応と同じように、効果は得られないと思います。


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